おやつく後記

日常のことなど

”自然派”の流行に違和感

ツイッターでフォローしている人たちの界隈で、自然派洗剤が流行っているのを見て、違和感を抱き、「自然派」とはなんぞや? と考えさせられた。

 

 

自然派界隈でいま流行りの洗剤があるらしく、その効果が良いとのことで、みんなが口々に褒めそやしている。確かに良さそうなものではあったが、この現象にものすごい違和感が。

 

 

そもそも、自然派の商品って、なかったところから突然出てくるものか? わたしの自然派商品のイメージは、現代では失われてしまったり、作るのが難しくなってしまったが、元はあった昔の知恵をふたたび掘り起こしたもの。そういう商品に触れるうちに、消費者である自分の意識や行動も変わっていき、企業もより無理なく無駄のない自然派商品を生み出す、という循環が起きるものと思っている。

 

 

このたび流行ってる商品は、特定の会社の特定の技術でしか作られないらしい。それって自然か? いや、とにかく”自然派推し”っぽい人たちが飛びつく現象が気持ち悪いのであって、商品に罪はないんだけど。

 

 

ちまたでは、ウソか本当か分からないけれど、一般庶民には隠されていたものすごい技術というのがあるらしく、今回の洗剤がそういう類である可能性は無きにしも非ず。だとしたら、画期的な商品なのかもしれない。

 

 

ただ、そういう時に思うのは、地球に優しくて効果も抜群な新技術ができたら、それさえあればOKということにならないか? ってこと。どれだけ汚してもいいし、どれだけ大量に消費しようとも、地球にやさしいのだったらいいでしょ? っていう人が出てくるのではないだろうか。

 

 

人や環境にとって良いものを作りたい、という企業理念は本当に素晴らしい。しかし同時に使う側のリテラシーも同じくらい高くなきゃ、無意味どころか逆効果だ。ノーベル賞のノーベルさんは、人々のために爆弾を作ったのに、それが戦争に使われることになってガックリきたのがキッカケで、賞を作ったとかいうよね。

 

 

だからこそ、自然派推しのくせに安易に流行に飛びついているのが嫌だなと思った。単に自然派商品を使うのを自然派というなら、ただのミーハーだろう。もちろん、そういう人がいてもいいし、人の勝手なのは百も承知。ただ、わたしのフォローしている人たちは、自分の頭で考えてそうな、ミーハーっぽくない人たちだったのに、なんでこの商品だけはみんな右向け右なのか。新手のステマ? と思うくらい。

 

 

究極の自然派は、小さい範囲で循環させていくことだと思っている。ただ、現代的な生活の中でそれは難しいし、原始時代まで戻りたいとも思えないので、ある程度、外の力に頼るのは仕方ない。そこで大事なのは、何を使うかではなく、使う側の意識の問題だ。

 

 

たとえ合成洗剤を使っていても、普段から清潔にしていて使用量が少ないなら、自然環境にとって良い行動だし、自然派洗剤をジャブジャブ使うだけなら、意外と環境破壊しているかもしれない。自然に還りやすい素材というだけで、環境に変化をもたらすには違いないのだから。

 

 

自分が楽しく努力できる範囲ですべきことをしていたら、少しずつでも自分の望む暮らしに近づくはずで、それは自然派生活も同じこと。まあ、今回の流行に乗っている人たちも、楽しくてやってるのならいいのかもしれないけどね。ケチつけまくったけど、わたしもその洗剤をちゃっかり使っている可能性もあるよ。そう、ある(笑) でもやっぱり、「環境に良くて身体にも害がない。なにかと効果が高くてコスパもいい♪」ってのを見ると、ウソつけ! っていいたくなる。どっかマイナスもあるやろ。映画レビューで☆5しかついてないのを信用しないタイプです。

 

 

いいんですよ別に、何を使おうとも。自分も人のこと言えた義理じゃない。でも気をつけなきゃな、と思わせてくれた出来事でした。