おやつく後記

日常のことなど思いつき

酵母も麹も同じ。そして世界はフラクタル

最近、紅麹サプリのニュースが話題になったのをきっかけに、麹や酵母について考えた。そのついでに植物の話とか人間の話とかに飛んだ。

 

※今回のニュース自体はそれほど触れてません。

 

 

わたしは日常的に発酵食品に触れているのに、紅麹なんてものを聞いたことがなく、最初は「なにそれ」って感じだった。

 

—きっと、死亡事故があったということは、紅麹っていうネーミングがついているだけで、別のものなのだろう。みんながイメージしやすいネーミングと実際の成分がマッチしていない商品なんてザラにある。”なめたけの瓶詰はエノキダケ”みたいな―

 

 

でもニュースの詳細を見ると、紅麹はれっきとした麹らしい。紹興酒や豆腐ように使われてるんだって。じゃあ紅麹自体は身体に有害ではないはず。ついでに「黄麹」「黒麹」「白麹」とかいうのもあるらしい。もちろん、こちらも初耳。きっと、わたしが日頃使ってるのは白麹あたりか。

 

 

名前の違いは胞子の色の違いとのこと。

 

 

でも直観的に「そんなの関係ねえ」と思った。

 

 

色はただの結果。全部同じもの

 

 

麹とか酵母になる菌が、ある食材に入り込んだ結果、食材の性質を変える。それが外に出た時に「〇〇麹」と言われているだけ。もっというと、その菌が結果として外に出た際、”麹”と呼ばれるとは限らない。酵母と呼ばれたり、もっと別の〇〇菌と呼ばれるかもしれない。

 

 

人間に例えると、わたしという一人の人間が、家族の中にいるときは「〇〇さん家の娘」になり、会社にいるときは「△△会社の社員」、友達の中にいるときは「××の仲間のひとり」みたいな、別の一面が強調されるだけで、すべてわたしという一人の人間が存在する場所が変わっているということ。

 

 

紅麹が紹興酒とか豆腐ように入っているという断片的な情報ひとつをとっても、とりあえずこの2つは中華の雰囲気がある(沖縄の食文化は疎いが、古くは日本より台湾寄りのイメージ)。

 

 

 <追記>

途中でほっぽり出してしまったが、紅麹問題については、紅麹そのものに問題はないはず。別の成分が原因か、純粋培養することで悪影響が出た? くらいに思う

 

 

 

だからたぶん紅麹から白麹を作ることもできるし、麹からパン酵母も作れるし逆も然り。実際に酒種でパンを作っているのはネットでよく見かける。

 

 

 

腐敗に傾いた菌は、別の食材にうつるとやはり腐敗し、発酵に傾いた菌で環境が整っている食材ならば発酵する。そういう単純な話だろう。結果として出た現象に、すべて違う名前をつけているだけ。菌の元が一緒だとしてもそれは確認しようがないし、素材が違えば必ず違う成分になるので、科学的に分類しようと思えば無限にできる。

 

 

このことを思いついたのは、過去記事にも書いたウイルスの話から。ウイルスイは「生物のようなもの」だが実際のところよく分かってないらしい。一方で、「一般的にウイルスと言われているものは、ウイルスが作用した後の結果にすぎない」という人を見かけたから。メディアでよく見るあの有名なウイルスのトゲトゲのビジュアルは、ウイルスそのものではなく「結果である」というのだ。真実は不明だが、そういう考え方はあり得る。

 

 

わたしはウイルスと菌の差はただのサイズだけだと思っているので、ウイルスの性質は菌にも通じる。

 

 

あと食品衛生の資格を取った際の講義で、食中毒を学んだことも参考になった。

 

色々端折って書くけど、自然毒以外の有害な菌やウイルスの発生は、ほぼ100%人災みたいなものだと感じた。大量生産に地球の裏側の食材が季節関係なく食べられるようになったりと、自然の営みからズレているからこそ起こってしまうのであって、身近な食材で消費できる最小限だけ食べていれば、そうそう起きない。そこで発生する菌やウイルスも元は同じもので、食材によって現れ方が違うだけに見えた。

 

 

これらを防ぐ方法を増やしていったところで、不自然なことをしている限り有害な菌やウイルス、寄生虫を根絶することはできないし、根絶できたところで別の問題が浮上してくるだろう。

 

 

ところで、良い成分が含まれているからといって一部を取り出して培養すると、毒になることもあるらしい。たしか藤田紘一郎氏の本で見た。身近なところでいう精製塩やうま味調味料が身体によろしくないというのと同じ理屈なのですぐ納得できた。

 

 

ということは、一般に販売されているもので一見身体に良さそうな成分が明記されているからといって、良いとは限らない。自然の中に存在してミネラルとか様々な成分が絶妙なバランスで配合されているからこそ効果を発揮するのであって、工場で生成されたものは自然を再現できない。

 

 

まずは自然に一番近いもの、次に自然の営みの中でできるものが一番身体に良い。科学的に身体に悪くてもそれを食べて幸せなら、幸せホルモンとか生成されるだろうから、それもアリ。ただ、「〇〇が入ってるから食べた方がいい」というのは、あまり意味がないってことね。

 

 

この流れで、いまハヤリの発酵食品も本当に身体に良いか? というのもちょっと考えたい。もちろん比較的良いとはいえるだろうが、「発酵」がつけば何でも良い訳でもない。

 

 

わたしは今、酵母を育てている。スターターとしてスーパーに売ってる「白神こだま酵母」を使い、あとは元種と粉と水で回し、もう1年以上たったので自分の家の酵母になった。ここまでくると我が家の菌が醸成されているだろう。ただし、塩こうじや味噌づくりの際は、毎回、市販の麹を買い、使い切ってはまた新しい麹を買って仕込む。これらも菌の力を借りてはいるが、うちの菌はあまり入っていない。(長く寝かせる味噌とかだったら変わるのかな?)

 

 

人間に例えると、毎年、新入社員を雇うけれど定着しない企業というかんじ。古株がいない。会社としては、若手と古株のバランスも大事。菌は回さないと腐るので、新しいものを必ず入れなければならない。安定している酵母や麹なら、一定期間ごとに新しいものを少し入れればよいが、長らく放置していたら古いのを少しだけ残してごっそり入れ替えるか、もう捨てるかの2択。人間界でも似たようなものかもしれない。

 

 

わたしの作る塩こうじは、小さい会社をつくって小さく回して終わらせ、次にまた小さい会社を作っているようなもの。ロスが大きく地元に定着しない。そう考えると、やらないよりはマシだけれど、本当に良いかは謎だなと思った。

 

 

でもうちには唯一の老舗、パン酵母がある。だったら、パン酵母から子会社を作ればいいのではないか。ということで、今回、初めてパン酵母から豆乳ヨーグルトというのを作ってみた。パン酵母は小麦なので豆乳との相性が良いとは思えなかったが、なんとかなるだろう。試してみた結果、予想通り最初のヨーグルトは粉臭くて変な味だったが、それを元種としてさらにもう1回作ったところ、余計な風味がとれてヨーグルトらしくなった。これを続けていけば、豆乳になじんだ菌となるだろう(ヨーグルト自体をあまり食べないので続けるかは分からない)。

 

 

この考えでいけば、すべての発酵食品のスターターはパン酵母でいける。蒸した米とパン酵母を混ぜたら麹ができるだろう。作りにくいだろうが、自分の家の菌から始めることで馴染みやすいというメリットもあるかもしれない。

 

 

この仮定をもとにいろいろ作りたいのだが、そんなに消費できないし場所もないので、出来る範囲でちょこちょこやっていくつもり。

 

 

この話から派生してもう一つ、植物の種について。

 

 

 

最近ツイッター(X)で見かけた話題。「在来種の種を研究・保存している方が高齢のため、引継ぎ先がなければ全部捨てるかもしれない」みたいなことを言って「それは良くない」という人が拡散していた。

 

 

在来種の種を保存するという活動は素晴らしく、在来種の存続に危機感を覚えていることも理解できた。わたしも在来種について何とかしなきゃいけないと思っていた時期もあったので。

 

 

ただ、菌のおかげで今はそこまで危機感はない。素晴らしい菌が存在しているから、それを使わなければいけないことはない。菌自体はどこにでもいる。それをどう使うかは環境次第でいくらでも変わる。

 

 

たとえばわたしが一時期ハマっていた白神こだま酵母は、秋田の美しい自然環境に生息していた菌だ。その風味を味わうというのは一つの贅沢だが、それを秋田とは程遠い場所で、毎回購入して使うのだとしたら、それは白神こだま酵母の熱烈なファンであって「天然酵母が良い」という考え方には一致しない。

 

 

そこにいる菌を無視して遠方の菌を優遇することは本当に良いことだろうか? もちろん、きっかけとしては良いが、発酵に親しんでいればいつかたどり着く疑問だと思う。

 

 

それと同じように、植物界でも「在来種」というある意味ブランドにこだわっても、使う側によっては、それが必ずしも良いとは言えないのではないか。その場所の土と気候、そして育てる人に合った育て方があり、守ってきた人の通りにやらなければ残せないというのは逆に不自然でもある。最低限の方法論以外は、人の数だけ違ってくるだろう。

 

 

逆に、外来種だろうが、そこで落とした種を使っているうちに、何年かしたらその土地にしかない遺伝をちゃんと受け継いでいるものではないだろうか。

 

 

高い意識を持っている人が行動するのであれば、最終的にゴールは同じところにたどり着く。その際に在来種を使った方がちょっと時間短縮できるかもね? くらいの違いかと。

 

 

わたしは「量産している安いイースト」と「白神こだま酵母」の両方をスターターとして自家製酵母を育てた経験があるが、どちらも開始直後の香りが違っただけで少し時間が経てば、どちらも同じ、うちの酵母へと変化していった。スターターの種類よりも、わたしの向き合い方の方が影響が顕著に出た(ほったらかしたり、精神的余裕がないと腐りやすかった)。

 

 

あと、関係あるか分からないけど、いつか読んだ本で「外来種セイタカアワダチソウが在来種の小さな雑草を侵食し、一面セイタカアワダチソウだらけになったが、いつしか別の草花が生えてきた」というのを読んだ。外来種が日本を覆いつくしちゃうんじゃないかと心配していたが、「なんだ大丈夫じゃん」と思った。地球をナメちゃいけない。

 

 

植物だって単体で生きているのではない。特定の1種類が猛威を振るったあとには力を失い、消えるか共存の道を選ぶ。植物界も栄枯盛衰。人間界も菌界も世界はフラクタル。だから大きな視点で見れば「なんとかなる」。現代という”点”でみれば厳しい状況も起こるかもしれず、それは自分たちの責任なので自分で考える必要はあるだろうけど。この考え方を採用するなら、移民問題もいつかどこかで落ち着くんだろう。

 

 

人も植物も菌もウイルスも、その対象自体を何とかしようとするより、当の本人の意識次第で何とでもなる。