おやつく後記

日常のことなど思いつき

その「場」は自分に合ってる?

小説を書くモチベーションが続かないので、仲間がいたら何か変わるかな? と思い、教室というのに行ってみた。習いに行くというより、仲間づくりが目的。

 

 



 

行ってみて、わたしが行く場所じゃないなと気づいた。長年通っている人がほとんどで、もう「場」が出来上がっていた。感想を言い合う場面では、けっこうきつめの言葉も飛び交い、「そんなこと言って大丈夫?」とヒヤヒヤ。終わってから、みんな長い付き合いと知り、そういうことか、と納得した次第。

 

 

頑張ったら入れるかなあ? と少し悩んだが、自問自答して即答できない時点で答えは決まっていた。「……無理せんとこか」。わたしは自分に甘い。

 

 

メンバーがほぼ古参となると、新しく入っていくのに、わたしはかなりの気合が必要だ。「ぜひこの先生に習いたい」という意思や「この雰囲気が好き」という思いはあるか? というとなかった。仕事など責任が生じる場なら頑張るが、趣味程度で「なんとなく興味があるし~」ではきつかった。

 

 

「仲間づくり」という目的を一番に考えたとしても、ピンとこなかった。よく考えてみれば、仲間づくりなんて人生でやったことなかった。これまでは、ほかに明確な目的があっていった場所で、出会った人たちと偶然仲間になっただけで、基本つるまない。趣味の習い事で仲間づくりを! なんて鼻息荒くすることに最初から無理がある。そう一匹オオカミでした。そんなわたしがなぜ、気の迷いを起こしたのかというと、行き詰っていたからだった。最初から目的を間違っていたということだ。

 

 

小説教室ってどこもこんなものなのか? と調べてみると、主催によって全然雰囲気は違うらしい。たとえば東京だと、主催が元編集長だとか、最前線で活躍する現役バリバリライターというのもいる。主催者の方向性や所属によって、そこに集う人たちも期待値が変わるだろう。

 

 

東京の小説家志望の人が、有名編集者の教室に通っているのを記したブログがあった。文面だけでは詳細は分からないので余白を想像したのだが、方法論を学ぶことよりも、小説家になりたい人間たちとそれを指導する先生が作り上げる「場」に身を置くことこそ、一番価値ありそうだ。

 

 

現役に近く、しかもクリエイターの集まる都心部に近い人ほど、目標に到達するための最新情報を持っているし、生徒もそれを目当てに実践する。周りはライバルであり仲間でもある。そんな場所にいたら、いいものを書きたい欲求も高まるだろう。だから、「〇〇教室から有名作家誕生」っていうのが立て続けに起こったりする。

 

(もちろん、すべての人がギラギラしてる訳ではないだろうが、人の集まるところには、目的ごとの教室の種類も多いはず)

 

 

昔、試しに行ったシナリオセンターでは、超有名脚本家の卒業生が多かった。学生時代から演劇やってました、という人でもない限り、シナリオを効率よく習うとしたら、当時は(いまも?)シナリオセンターくらいしか思いつかないわけで、本気の人が集まりやすい場所からはそりゃ出てくるだろう。

 

 

わたしはというと、ちょっと足を延ばせば地元より著名な教室が見つかるだろうが、そこまでする元気はない。つまり、その程度といえばその程度。でも、なんとか近場で一緒にやれる人はいないかなと常に考えている。

 

 

今のわたしは、たぶん、他人の作り上げた「場」にお邪魔するのはなかなか難しい。少し前までは、自分を馴染ませることに腐心していたが、それすら厳しくなってきた。よほど目的を共有できる人じゃないと無理で、だったら自分の場を作って広げていくしかない。いまのところまったく広がってないんだけど。自信をもって「ここはわたしの”場”である」といえるのは、ブログとインスタくらいだ。あと、自分の家? 小さい。小さすぎる。でも、あるだけマシか。

 

 

それにしても、文章教室のディスカッションで、みんなよくしゃべるのにびっくりした。わたしはしゃべりが下手だから文章表現が好き、というのもあったので「こんなにしゃべれる人が小説なんて書く必要ある?」ってさ。

 

 

ただの偏見とはわかってる。でもね、わたしも気心知れた人の前ではおしゃべりだけど、慣れるまでに時間がかかるタイプな上にあがり症なもので、ディスカッションとか死ぬほど嫌いなのよ。なのに、バリバリにディスカッションできて文章も書くなんて贅沢だなとうらやましかったの。

 

 

さて、次の「モチベ向上作戦」は何にしようかな。