おやつく後記

日常のことなど

書道の展示を見て思ったこと

ある公共スペースで小学生の書道の展示準備をしているところを通りがかった。見ると「納税」「納税」「納税」、たまに「税務署」「青色申告」。小学生らしからぬ文字の羅列に、なんかヤダな……と思ってしまった。

 

 

こんな書写はいやだ(?)



 

小学生が書写の授業で課題として出されたのが「税に関することば」とかだったのだろう。子どもたちの上手な字はほほえましいのだが、なぜに税金?   強制的に余計な観念を植えつけられるだけで、邪魔でしかないと思うのだけど。わたしが小学生のころは、大まかなテーマはあれど別の何かに結び付けるようなことはなかった。

 

 

税の大切さを教えるとかなんとかいう理由を付けているのだろうが、ひねくれもののわたしからすると、税金について国民が疑問を持ち始めているので、子どもの頃に納税の大切さを説くことで、大人になってから疑問を抱かせないようにしているのだろうなと思った。考えすぎ? だとしても、書道に直接関係のないことをこじつけるのは、どちらにしろ気持ち悪い。いくらこの理由について正統性が認められようと、決定に関わった官僚(?)たちは絶対モテないと思う(笑)

 

 

どうせなら、1人でも「タックスヘイブン」とか「減税」「消費税撤廃」とか書けば面白いのに、と思ったが現実的ではないことも分かっている。これまた大人の入れ知恵で書いたら、官僚と同レベルでヤラシイわけで、子ども自身が書きたいと思わなければ意味がない。だいたい、わたしの記憶では小学生時点で納税なんて言葉は遠い世界の話であって、考えたこともない。よほど時事に関心のある子でもない限り、授業で習ったから知っているだけだろう。しかも、納税こそが義務であり正義である、という付加情報とともに。

 

 

そんな小学生が、かつては消費税というものがなく、3%から5、8と上がっていったことを知っていて、なおかつそれを疑問に思うなんてことはないのでは? 消費税が悪とは言わないが、なぜ必要なのか、減税は不可能なのか、など考えることは意味があるし、真実を習えば疑問に思う子が出てくるはず。国にとって都合の良い情報しか盛り込まず、しかも表面的な教育で、”考える力”なんて養えるものか。

 

 

この環境で、もし「タックスヘイブン」なんて書く子が現れたら、親の影響かただの”イキリ”にしか見えず、それはそれで純粋に味方できない気がする。そんな稀有な子がいたとして、表に出る前に先生が止めるだろうから、よほど強い意志がなければ実行は不可能であり、そこまでやるのはちょっと面倒な子だろうな、と想像してしまう。

 

 

わたしが子どもだった時は、与えられたものを受け取るしかなく、自分の意思を通せるなんて思ってもみなかった。しかも自己肯定感が低かったのでなおさら。それでも、大人になってから「あの時学んだことは変だった」と思えるようになったので、教育が歪んでいても、案外取り戻せるものかもしれない。

 

 

自分の話をすると、中学の頃の社会の授業で「”株式会社”というのは、その会社を応援したい人が株を購入する仕組みである」と習った記憶があるのだが、大人になってから、実のところマネーゲームのコマのように考える人が多かったり、「会社は株主のためにあるもの」という意見を聞いて、なんだ全然違うじゃん、と幻滅したことがある。

 

 

理想を教えるなら全然違う現実もワンセットにしろよと思うのだが、受験勉強には必要がないから教えないのだろうか。少なくとも、理想論だけ教える先生がまさか株式投資なんてしてないですよね、といいたい。

 

 

この話は、「気づく」というほどのエピソードではなかったが、なんか変だ、と思えたことは一歩前進。子どもの頃の真実が、必ずしも真実ではないことを知るきっかけになる。

 

 

わたしの場合、「仕事だからこうするけど、プライベートだったら絶対やらない」という二枚舌人生をやめようと決めてから、できるだけどんな場所でも考えと行動を一致させるよう努力している。

だからもし自分が先生なら社会では「株式会社の始まりはこうだったけど、今は違う要素が大きいよね」と教えたいし、書写では「税金についての文字を書いてもらうけど、”納税”以外にも言葉はあるよ」っていいたい。そんなことは許されないだろうから、まあ先生はできないだろうな。