おやつく後記

日常のことなど思いつき

家は主の胎内である

うちの場合は母親だ。

わたしは実家に戻って母と二人暮らしなのだが、自分の家という気がしない。いつまでたっても人の家を間借りしているようで、少し居心地が悪い。戻ってきてしばらくは気にしていなかったが、当時は仕事で忙しくてほとんど家にいなかったからだろう。最近、家にいる時間が増えたおかげで、違和感に気づいた。

 

 

もちろん、子どもの頃は何も思わなかった。大学生以降、長いこと家を出て1人ぐらしなどをして、久しぶりに戻ってきたらまったく別の場所になっていた。大人になって自己が確立されたからだろう。家を出てからのわたしは、いつも所有しているモノが少なく、久しぶりの実家はモノであふれていた。しかし、思い返せば小さい頃から実家はそうだった。

 

 

実家に帰った直後、少しでも自分の居場所を確保するために断捨離と掃除に励んだ。おそらく、家の半分くらいのモノを処分したのではないかと思う。すると母が痩せた(笑)知り合いに「ちゃんと食べてる?」と心配されていたようだが、わたしよりよほど食べるしよく寝るしよくしゃべる。つまり健康そのもの。絶対に断捨離の効果だ。

 

 

家が母親の胎内だと思った理由について細かく書いていたのだが、ただの悪口になったのでいったん消した。オブラートに包んで書き直そう。

 

 

 

実家のモノの量や配置、掃除の具合、すべてが母そのものなのだ。

 

 

量が多すぎる、あるべき場所にあるべき物がない、見える部分だけ掃除をしている”風”、とか。……やっぱり悪口になってしまった。

 

 

これでもかなり改善されたのだ。わたしが帰ってきてすぐは、意地悪な姑のごとく、ネチネチと指摘していたのだが、ウザがられるだけで良い効果がないのを知って、小言は止めた。代わりに、自分の部屋と水回りだけはピカピカにするようにしていたら、母も少しずつ真似をするようになり、数年前よりずいぶんきれい好きになった。

 

 

(誰かに文句を言いたくなったら、言うのではなくやってほしいことを自ら黙々と実践しよう。その方が平和だしずっと早い)

 

 

”自分の部屋と水回りだけ”と書いたが、もちろん、自分さえ良ければいい、というイケズなことをするつもりはなく、最初はすべての部屋を掃除したのだが、間もなく全く意味がないことを悟った。

 

 

わたしがモノを減らせば、空いたスペースに母がモノを詰めてしまうのだ。空間を無駄に使っていたので棚を作ると、前よりモノが入るようになった分、余計に増えてしまう。

 

 

わたしがいくら掃除をしても、わたしより母が使う場所はたちまち汚れてしまう。なぜ自分が使ってもない場所を一生懸命掃除して、しかもすぐに元通りにされなきゃいけないのだ、と思うとバカらしくなってしまった。

 

 

結局、そこを使う人間がきれいにしない限り、何の効果もない。正確にいうと、本人が手を動かさなくても、大前提として”気持ち”があればいい。たとえば業者に頼んで掃除してもらうならそれもあり。依頼する本人が掃除をしようと考えたからお金を払って人にやってもらうわけで、掃除の意味としては自分でやるのと同等の価値がある。

 

 

水回が不潔なのだけは許せないので、誰が使おうともわたしが掃除をすることにしたが、それ以外は諦めた。だからわたしの部屋と水回り以外は母の管轄ということだ。

 

 

話を元に戻す。家は母の胎内であり、つまり母の性格そのものだった。

 

モノが多い → 雑念が多すぎる

あるべき場所にあるべき物がない → 思考回路がぐちゃぐちゃ

見える場所だけ掃除をしている”風” → 表面的には愛想がいいが……(以下略)

 

ほかにもあるが、この辺でやめておこう。

 

 

そんなカオスな母の胎内の片隅で、ひっそりと小さく生きている(すみっコぐらしを初めてみたとき、思わず「わたしみたい」とつぶやいて、友達に引かれた。本当にそう思ったのだ)。そんな唯一の自室さえ完璧にできない。とっくの昔に家を出た家族のモノが押し入れの9割を占めているからだ。いくら家族とはいえ、住人であるわたしの部屋に他人のモノが入っているのは本当に腹立たしいのだが、あくまで母の家なので、強く言えないのがもどかしい(言ってもいいのかもしれないが、そういう気分になれない)。

 

 

でも、ある意味ではこの居心地の悪さは正しい。家の主は1人で十分だからだ。

 

 

たとえば夫婦や家族だと、2人以上で家を共有することになるが、そこでの主は妻や母であることが多い。夫が大黒柱だとか、亭主関白だとしても、家を守るのは主婦だ(逆でもいい)。あるいは、妻がいても家の管理も夫がしているのなら、家は夫の胎内かもしれない。とにかく、家という建物を支配している人の胎内になっているはず。もし、主の方針で各自の部屋は自分の好きに使うべき、というなら、主の思う通りになっているといえる。

 

 

うちのように母娘で住んでいても、娘が母に全権を委任しているのであれば、気持ち悪さはないかもしれない。しかしそれは、母の庇護の中でいることに違和感がないということでもあり、子どものままなのだ。

 

 

逆に娘が家の主に成り代わってもいいのだと思う。親も歳をとるとそっちの方が楽かもしれない。ただ、うちの場合はわたしがそれをやりたくない。母は、義務感が薄れると動かなくなるタイプ。放っておいても父が亡くなってから手持無沙汰に見える。父ほどではなくとも、まだわたしという存在がいるから動いているが、わたしが主の座を奪うととたちまち老いる気がする。

 

わたしが家を出た方がいいのかなと考えたこともあるのだが、悩んだ結果、まだしばらく動かないことに決めた。おかげでこういう違和感と常に戦っている。

 

 

ちなみに、良好な関係を築いた家族であれば、家はさほどキレイでなくとも居心地が良いだろう。毎日、胎内から出て胎内に帰ってくる――というとなんかエロい響きを含んでいるが、家の場合はそういう意味でもなく、とにかく安心感があるはず。

 

 

もし夫にとって居心地の悪い胎内なら、別の安心できる場所を求めるだろう。基本が安心できる場所であれば、一時的に気の迷いがあっても帰ってくるだろう。子どもは、大人になれば居心地が悪くなるのは当然であり健全なこと。

 

 

誰かのブログで「社会人の男で実家暮らしはダメ」というのを見たことがあるのだが、日々、母の場所に戻ってくる限り、子どものままで自立できないということだ。生まれる前は実際に母の胎内で育ち、時が満ちると物理的に母の胎内から出てくる。次は疑似的な母の胎内である”家”で守られながら育つ。そして大人になったら、自分の意思で出て行かなければいけない。パートナーができたら2人で一緒に新しい家を育て、そうでなくとも、自分の家か店か、とにかくどこかで帰る場所というのを見つけるのだろう。

 

 

わたしが読んだ文章では男についてだけ書かれていたが、女も出て行くに越したことはないだろう。親と同居するにしても、子が主になった方がいい。

 

 

今の社会では家を出て別の家族を築くのならいいが、ただ孤立するだけのケースも多い。わたしが今出ていくとそっちになるので、無理はしないでおこうと思っている。でも主でもなく、子のままでも嫌なのだから、さてどうしたものかな。

 

 

こういう家に住みたい