おやつく後記

日常のことなど思いつき

洋裁はじめました ~初心者ものづくらーの心得~

洋裁をきっかけに、初心者がものづくりをするときの心得を考えた。最後、飛躍したけど、結局、やろうと思えばなんでもできるだろ! という話。

 

 

 

 

初のエプロンづくり

 

今年、エプロンを2着つくった。これまでミシンを使って作製したのはクッションカバーや巾着袋くらいだったのだが、自分のエプロンがボロボロになってしまって、かわいいのが欲しいなと思ったのがきっかけ。

 

 

素人だけど必ずできるはず、と楽観的に思えたのは、昨年はじめて編んだセーターで成功体験を積んだから。それまでマフラーかレッグウォーマーくらいしか作ったことがなかったけど、ちゃんと本を読んで本の通りに丁寧にやればセーターもカーディガンもできた。編み物ができるなら洋裁だってできるに決まってる。

 

 

エプロンは2着とも、ワンピースのような形。自分用なら前掛けで十分なのだが、ワンピースのタイプを作ってみたかったので挑戦した。まだ不慣れなので母用に作ることにした(笑)

 

1作品目はユザワヤで売っていたノースリーブの型紙で、母が好きなネコのイラスト入りの布を買ってみた。2作目は自分用にしようと思ったけれど、「寒いから袖つきがいい」と母がいうので、図書館で適当な本を借りて袖つきの、これまたワンピース型のを作った。どちらも2,3日で完成。

 

 

ミシン練習用として、どちらも試作のつもりだったが(だからどっちも母用)、我ながら「売り物になるレベルじゃん」と感心した。

 

 

さっそく着て庭仕事をしていた母が、知り合いから「素敵なエプロン! 千円だったらほしいわー!」と褒められたらしい。ふふ、うれしい。でも千円はない。材料費だけで三千円近くしてるんだぞ。 

 

 

実際に作ると分かるが、安く売られている商品は、やっぱり安いだけの理由があるなとしみじみ思う。大量生産でコスト削減できるとはいえ、素材や仕事の質は低い。素材の寿命が短いので、それに合わせて仕事も雑になるのだろう。ある意味でバランスが良い。

安物は表面的に美しく見えたとしても、すぐに色落ちしたりボロが出てくるか、見栄えは良いままでも肌に良くない。市販品で安くてよいものなんてほぼ存在しない。いいものは見た目もよい状態が長持ちする。

これは服だけでなく、ものづくりすべてに言えること。多くの業界で粗悪品が増えたのは、安いものを簡単に買い替えたい消費者が多い現れと取ることもできる。

 

人類に不可能の文字はない

 

そろそろ本題。

未経験の分野を前にすると「自分にはできないし」と思いがち。実際、わたしも自分に服が作れるなんて考えたこともなかった。しかし、この世に存在する仕事で、得意苦手はあれど、絶対に不可能なことはないのである☆

 

 

数学の〇〇予想とかはさすがに厳しいかもしれないけど、少なくとも具体的なものづくりは必ずできる。とくに衣食住に関することならなおのこと。よく考えてみて。人類の起源でメーカー品なんてものはない。工場で大量生産されるようになったのなんてここ100年の話。かつては生きるために狩猟や採取、農耕などをし、草木や毛皮から衣服をつくり、石や土、植物で住居をつくっていた時代があったのだ。それをしなければ生きていけないのだから、逆にいうとそれだけはできるはず。

 

 

古代にミシンはないだろ、と言われたらそうだけど、まあ「服なんて作れるはずがない」と決めつけなくてもいいでしょ? といいたかった。専門学校やデザイナーじゃなくても、だれでもできて当然なのだ。そんな大げさな話をせずとも、祖母の代は普通に自分で縫物編み物をしていた。昔はデパートで手芸コーナーがあるのが当然だったという話も聞いた(聞いたときはびっくりした)。

 

 

残念ながら、いまはお母さんから娘(息子でもいいけど)へ、家庭の中で手芸が口伝される時代ではない。わたしか1つ上の世代で止まってしまった感がある。

しかし! その代わりにネットという便利なシロモノがある。専門サイトに個人ブログにYouTube。おばあちゃんの知恵の100万倍くらいを知ることができるのだ。オフラインで教室に通うのもいいけど、固定化された集団が苦手なわたしの場合は、オンライン上の無限の先生たちに教わる方が向いている。そして、作家たちの出した本も巷にあふれている。

 

 

ウェブだと情報は無料だが、良いものに当たるには自分で探さなければならない。また、コツなどは伝えてくれても、実物のパターンはほぼ有料だし、買うにしても服のパターンは結局データではなく実物を手に入れなければいけない(模造紙サイズなのでプリントアウトできない)。パターンが欲しければ単品か本を買う方が早い。そして、そっちの方が基本的で具体的な実践法を丁寧に教えてくれる。そんなわけで、初期投資として初心者向けの本やパターンなどは一通りちゃんとしたものをお金を出して買った方が良い。右も左も分からないなら、もう少しお金を出して教室に通った方がいい。

 

 

そこで基礎を理解して、言われたことを言われた通りにちゃんとやったら、時間はかかるがそれなりのものができる。本当に単純なことだ。

 

 

文章を読めない人もいるらしい

 

そんなの当たり前と思われるかもしれないが、そうじゃない人もいる。その代表格がうちの母。説明書とか注意書きなど、1から順番を追って書いてある通りに日本語を解釈すればわかるのに、歪曲した独自解釈をして、自滅しているのをよく見かける。

 

機械操作や申し込み方法など、「どうしよう、できない。教えて」とパニクってわたしにと聞いてくるので、「何て書いてある?」と復唱させて、「それ、どういう意味だと思う?」と問うと、書いてある通りのことを返してくるので「それをやってみたら?」というと「あ、できた」なんてことが珍しくない。どういうことやねん。小学校で国語やりなおしてこい! と怒るのがいつもの流れ。ああそうだわ、前世ダンゴムシで今世宇宙人なら仕方ないのか。。

 

 

この考え方が腑に落ちると、できないことはないな、と思えるようになった。とはいえ、道具が必要だったりすれば難しいし、苦手なものは習得も時間がかかるだろう。それでも、たとえわたしの大の苦手の分野(スピーチとかチームスポーツとか)ですら、一歩一歩地道にやっていけば必ずモノにできると思うのだ。

 

 

My「もしもボックス」で乗り切れ

 

たまに考えるのだけど、いまは稼ぐことがエライという価値観が強いが、これがもし「物理ができるヤツがエライ(生きやすい)世の中」だとしたら、子どもから大人まで物理に関心を持つのだろう。子どものころに読んだドラえもんの「もしもボックス」の回で、のび太が「昼寝するヤツがエライ」みたいな世界に変えると、のび太がみんなの尊敬の的になった、というのをよく覚えている。

 

 

バカみたいな話に見えて、意外と荒唐無稽な話でもない。まだほとんどの人が気づいていないけど、いまは「もしも『金がすべての世界だったら』」という”もしもボックス”の世界に生きているだけ。小さい世界では「ゲームができるヤツがエライ」っていうのもある。10年、20年前にゲームといえば子どものやるもので終わっていたのが、eゲームってのができたり実況が流行ったりしている。リアルのもしもボックスは少々タイムラグがあるが、意外と実現しているもんだ。「働かないやつすごい」っていう世界もあるし。

 

 

であれば、自分の中だけで架空のもしもボックスを使って考えてみたらいい。「洋裁ができるやつがエライ」世界ならみんな洋裁をするだろう。だったらわたしもできるはず。弾いたことのない楽器だって、いまから始めてもプロ級になれるだろう。相対性理論だって理解できるようになるはず。時間はかなりかかるだろうけど。

やるかどうかは別として、やろうと思えばなんでもできるはず、という自信はある(笑)

 

 

話しが壮大になったけど、いまの小さな夢は自分の好きなデザインの服を自分で作りたい。布も形もボタンも全部!自分の好きなもので作りたい。今回の母用試作品で自信をつけたので、また作ろうと思います。というか、もう次のパターンを買った。部屋着用モンペ。