おやつく後記

日常のことなど思いつき

自力治療と、病院の思い出

歯医者に行く予定だったのだが、急な腹痛が起きて取りやめた。ここ数日、風邪で引きこもっていたので、久々の外出だと張り切って昨日から準備をしていたというのに。

 

 

今日の腹痛は、胃や腸というよりは子宮の収縮を感じる。いまは生理直後なのでタイミングとしておかしい。風邪がやっと治ったと思ったのにまだ全快ではないのか。

 

 

 

とりあえずお腹を温めて丸まっていたら、一時的な痛みはおさまった。でもこれはまた、ふとした拍子に来るだろうな、というのが感覚で分かった。今回は体調不良というよりは、リズムの乱れだろう。

 

 

いつもこんな感じで、基本的にわたしの医者はわたし。小さい痛みや病気なら、身体と相談して自力で対処する。

 

 

昔のわたしなら、どこか不調があるととりあえず検索した。一般的な西洋医療的観点もそうだし、東洋医学的なことも調べたし、近年はスピリチュアル的なことも。もっと昔なら、とりあえず病院に行っていただろう。

 

 

自力に頼るようになったきっかけは亡き父だった。父は若い頃から健康診断では何かしら数値がよろしくなかったようだが、若さと勢いで振り切っていたのだろう。60歳を過ぎた頃に大病をして、そこからはガタガタ。あっちもこっちも悪いし糖尿病予備軍だしで、「なぜこんなことになる?」と不思議だったわたしは、本やネットで勉強しまくった。

 

 

父は頑固で強情な性格だが、「先生」と呼ばれる人にはめっぽう弱く、西洋医学におんぶにだっこ、他力が過剰で自力がおろそか。東洋医学も受け入れがたいようだった。

 

 

父が拒否反応を示さない範囲で、自分の知っている知識や知恵を伝えてきたが、父は最後まで西洋医学に頼り切った。

 

 

そんな父を近くで観ながら勉強していたので、皮肉にも自分は身体の知識が身に付き、ある程度の確信を持てるようになった。父のおかげであり、一番尊い財産をもらったかもしれない。母もまた、父と同じく西洋医学信仰が強いが、父と違って健康体であり、父ほど頑固でもないので、じわじわとこっち側に洗脳している。

 

 

友人との会話で、こないだ高熱が出た時に自力で直したという話をすると「なぜそんなに頑張るの。医者に行きなよ」と驚かれたけど、原因と対処法が分かっているなら自力で十分だろう。もちろん、これはあくまで自分の話。家族や他人にまで口出しはしない。

 

 

小さい症状を自分で対処するのは、わたしにとって実験だ。やってみてダメなら医者に行って、治ったら行かずにすんでラッキー。これを繰り返しているうちに、「これは自力では無理かもしれない」ということもわかる。

 

インフルになった際、熱が上がったり下がったりして不安定だったので、医者に行ったことがある。下がっているときに行くと、「たぶん違うと思いますけど、一応インフル検査しますね」とやったらインフルで医者もびっくりしていた。

インフルだと分かればもうあとはいい。抗生物質かなんかをもらって帰ったが、飲まずに寝ていたらまた上がった。安静にしていればよいので、しばし苦しみに耐え3日ほどで治った。

 


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疲れすぎて倒れ、ブロックで頭を切ったときも病院にいった。

とめどなく血が噴き出すわ止まらんわで、顔面の半分血まみれというホラー映画ばりのビジュアルだったのだが、止まればいいだけの話。ケガの治療という意味では医者は不要だったのだが、目の近くで痕が残ったら嫌だったので頼ることにした。

 

 

しかしその日は、あいにくの祝日。調べてみるも、空いているクリニックで形成外科やそれに類するところがない。どこがいいかなと迷ったので、生まれて初めて#7119に電話してみた。すると「それは大変。すぐ見てもらった方がいい」ということで、近くの大きい脳外科を紹介された。電話の相手は、切り傷よりも脳の心配をしてくれたらしい。

 

大げさだなと思ったが、とりあえず傷の処置をしてほしかったので行ったら、CTを撮られた。当直の若い医師たちが対応してくれて、たしか彼らも「たぶん、何ともないとは思いますが、念のため取っときましょか」くらいのノリだったと思う。全然いらないけど、CTなんてとったことないからやってみよか。これも経験のひとつね。と身をゆだねてみたら、2万円近くしてびっくりした。たっか!

 

……まあいいわ。写真も撮れる新感覚アトラクションなのだ、これは(USJでも2回いける額だけどな!)。自分の輪切りの脳みそを見て、へええ、という新鮮な驚きもいただいた。わたしの目ん玉は丸く、どこぞの本で見た人間の中身と同じだった。どんなに化粧を頑張ったところで、切り刻めばわたしもただの動物か。

 

 

 

まあ、ここぞというときは病院に行っているが、その回数が極端に減ったのは、決定的な理由がある。

 

 

10年ほど前の定期健診の乳がん検診で引っかかったときのこと。

精密検査を受けるように通知が来たので、偶然、近くにあった乳がんの名医がいるという病院に行った。その病院の待合室の空気があまりによどんでいた。特に暗いとか汚いとかでもなかったと思うが、わたしには黄緑色がかった、なんとなく不穏な空気が漂ってる印象しかない。オーラとかまったく見えないので、記憶にフィルターがかかっているのだと思う。

 

 

名医の病院ということで、待合室はいっぱい。わたしが2回ほどいった時は検査だったのだが、乳房にぶっとい針を刺されたり、板でつぶされたりと、あまりの痛みに泣きそうな顔をしたのだと思う。「syunさん! 大丈夫ですか!」と看護師さんが心配してくれた。たぶん診察室から漏れ出てくる声が聞こえたのだろう。終わって出たら、みんな一斉にこっちを見てきた。終わった後の痛みはなかったのだが、みなさんの顔が悲しそうだったり不安そうだったりでこっちにも伝播してくるような変な感じ。「ここに来るの、良くない気がする」と思って通うのをやめた。

 

 

 

その後、別の病院に行くこともない。なんとなく、これは良性のやつだろう、と思ったので心配もしなかった。10年たってもピンピンしているので、まあ大丈夫だと思う。分からんけど。

 

 

それ以降、めったなことじゃ病院には行かない。父のお見舞いで大病院に行くことはあったが、大きい場所、とくに急性期では必ずしも悲壮感は漂っておらず、一時的に通うには悪くなかった。

 

 

かかりつけ医ってのがいてもいいのだとは思うが、いまの時代、近所だからといって安易に決めるものでもない気がする。「とりあえずお薬」ではなく、時には「ナメときゃ治る」っていう厳しさがあるくらいがいい。

 

わたしみたいなタイプは、日ごろから整体などでメンテナンスして予防医学に励む人も多いだろうが、それもまた相性。いい人に当たれば長く付き合えるかもしれない。ただ、何をするにもいいものは金額がそこそこかかる。古き良き時代のドラマに出てきそうな、近所で気心知れて気安く頼める値段で、なんてものはわたしの周りにほぼない。あったけど絶滅寸前だ。

 

 

いまはサービス体制バッチリのチェーン店か、いい店だけどお高いか。人情派の先生がいたら人気殺到で予約が取れないか。こんな時代で稀有な他力を探すより、とりあえずは自力に頼る方が早い。基本は自力だったら、いざ他力に頼るときに変なケチ根性が出にくいし、かといって何もかもゆだねすぎることもなくなる。

 

 

そういえば、歯医者も定期健診はどこまで必要なんだろうか。ここ数年、3か月に1回は通っているが、絶対に行かなきゃいけないものでもないだろうな。