おやつく後記

日常のことなど思いつき

場外乱闘のラブレター

 

 

毎回が久しぶりの更新。

 

 

これまで物語性のある話や文芸関係の話はnoteに書いていたが、今後noteは創作のみ載せることにしたので、今度からなんでもありのココに書こうと思う。

 

 

 

創作と雑感が入り乱れたnoteは、長らくロクな記事を書いていなければ、更新頻度もかなり低い。ここ1年くらいは、

 

好きなブロガーの記事を見るのが主な利用目的だったので、フォロワーなんて減ることはあっても増えるはずがない。

 

 

なのに、今日新たにフォローされた。

 

 

いまのわたしのnoteで新規フォロワーがつくとも思えず、ビジネス目的だとしても少々違和感があった。不思議に思って当人のページに飛んだところ、間もなく理由が判明した。

 

 

わたしが最近フォローした女性Iに恨みを持つ男性だった。彼をSとしよう。

トップページに固定された記事をクリックしたところ、いかにIが卑劣な人間か、いかに自分がIを憎んでいるかということがツラツラと書かれていた。

 

 

これを見た瞬間にぞわっとした。Sの記事によってIが某界隈では有名人ということを知ったが、わたしはそんなものに興味がなく、ただIの文章が気に入ったからフォローしただけのこと。Sの恨みの内容も、関係のないわたしからすると「だったら何なの?」という些末な話よ。

 

 

わたしがIをフォローして間もなくわたしをフォローしたということは、Iのことを常に見張っているということ。その粘着性に恐怖を感じる。

 

 

 

ただし、本人の意図に反してSのお陰でIの魅力を知ることができた。”Iは有名人”と書いたが、正確にいうとIの夫が有名なクリエイターだった。といってもかなりの高齢で数年前に他界したらしい。名前は存じ上げなかったが、彼の残した作品は聞いたことがあり、年代を考慮すると現役時代は業界トップクラスのクリエイターだっただろう。

 

 

クリエイターという職業と時代性も相まって、夫はまあまあ奔放だったようだ。こんな夫が選ぶ妻もまた、凡人ではありえない。だからこんな粋でセクシーな文章を書くのだなと納得した。

 

 

さてS氏の思惑はなんだったのだろう?

わたしに自分の文章を見せることで「あんたがフォローしたIは、実はこんなひどい人間なんだよ」と言いたかったのだろうか? しかし清廉潔白を売りにしている芸能人ではあるまいし、ましてや芸術家夫婦にどんな常識を求めるというのか? 近代文学で名を残している文豪なんて全員が変人でしょうに。

 

 

 

不倫してもクスリで逮捕されてもファンに愛される芸能人もいる。婚約者を金目当てで次々に亡き者にして死刑宣告された女でも、結婚したい男はいる。「それはそれ、これはこれ」はどんな世界にも存在するのに、かわいいウソごときで意見なんて変わるものか。いやむしろ、物語がある方がクズでも愛されたりする。

 

 

Iはぱっと見の印象として、S氏が必死でI氏の悪口を拡散しているのを無視して淡々と自分の記事を書いている。どちらがスマートかといえば、火を見るよりも明らかというもの。

 

 

ちなみに、S氏が怒っているI氏の行動というのは、夫のツイッター(X)アカウントで本人になりすましてツイートしていたというもの。ウソをついたのだとしたら良くないが、もうアカウントは閉じているらしいし、そういうウワサが広まっている今はやっていないだろう。

 

 

ツイッターでは妻のIを褒めていたらしいので、自作自演なら少々恥ずかしい思いはあるかもしれない。罪相応の制裁はもう受けている。どらにしろ何年も粘着するようなことには思えない。

 

 

いや、怒るのは自由だが、少なくとも無関係の第3者に働きかけるなんて馬鹿馬鹿しいことよ。

 

 

わたしが隣人のウソに怒って、それについて書いたビラを町内にばらまいているようなもの。真相云々よりも、普通に考えれば町民は隣人よりわたしを敬遠するだろう。

 

 

 

ここで面白い妄想が浮かんだ。

 

もしかして、Sの存在すらIの創作だったりして。

 

 

このやり取りはすべてがネット上で展開されている。怒っている方も矛先を向けられている方も、どんなテンションで文字を打っているのかなんてわかりゃしない。

 

 

文才のあるIだし、ツイッターでなりすますくらいの図太さがあるなら、できそうなものだ。この壮大な物語に踊らされているのだとしたら、それはそれで面白い。

 

 

あるいは、全てがチャットGTPだったら? 数年にわたって巻き起こる物語はすべてフィクションでした、というオチか。平成が電車男なら、令和はAIのつくる愛の大河ドラマでいこう。

 

 

ただまあ、まだAIにこの二人の文章は書けないと思う。いずれ可能になるとしても。

 

 

 

怒っているSが実在するとしたら、これはもうIへの愛。愛の反対は無関心なら、憎しみの反対も無関心。愛と憎しみは表裏一体で、どちらも執着したらロクなもんじゃない。が、Sの歪んだ愛は、Iの魅力をさらに浮きだたせた。憎まれる女は愛される女。Iの物語はこれからも続くし、Sは登場人物としていい仕事をしている。