おやつく後記

日常のことなど思いつき

手作りをする理由 ~人は金のみにて生くるものに非ず~

人はパンのみにて生くるものに非ず

 

意味はほんのりとしか理解してないけど、現代風にいうと”パン”は”お金”に置き換えられるだろう。物質的豊かさだけじゃ生きてけないんだよ、ってこと。

 

しかしこの一説を思い出したきっかけは、奇しくもパンの話。

 

 

今日ツイッターで「手作りパンと市販のパンはどっちが安いか」という検証をしているのを見かけた。

 

結論は市販のパン。「へえ、そうなんだー」と思ったけど、それを比較する意味は豆知識になるくらいのものだ。だって市販のパンと手作りのパンは、見た目一緒でも全く違うもの。素材とか添加物の有無以外に、だれが何のためにつくるか、というのも味や栄養のポイント。数ある要素のひとつにはなれど、これだけ見て「手作りより市販品が安いんだ? じゃあ市販品買えばいいじゃん」と結論づける人はいないと思うんだけど、どうなんだろう。

 

投稿者は節約生活を楽しむ投稿をしている中で今回のことを検証したらしい。お金だけを考えれば、たいていのものは自分でやるより安いものが見つかる。食べ物に限らず、服もね。

 

しかしその栄養価は? 味は? となると話は別。

 

「ジャンクフードばかり食べている人が太るのは、栄養のないものを食べるから、必要な栄養量を摂取するには大量に食べる必要があり、不要な栄養素を過剰摂取してしまうから」みたいな説を聞いたことがある。

 

「人は土から離れては生きていけないのよ」

というのは天空の城ラピュタのシータのセリフ。最近のわたしにとってこのセリフは深く刺さる。ことあるごとに思い出す。

 

大地の恵みを摂るのが一番栄養があり、そこから離れていくほどに減っていく。だから新鮮な方がいいし、加工されてない方がいい。現代社会においては「新鮮なものだけ食べよう」とかいってられないので、加工品も食べる。便利な世の中になったもので、食べ物の形をとったものがあふれてる。中には”人間の体内で消化できる工業製品”もあるだろう。

 

手作りする場合だって、極論をいうと、できるだけ近隣で採れたもの食べるのが一番いい。寒い時期に体を温める野菜が育ち、暑い時期に体を冷やす野菜が育つように、地方ごとに違う野菜が育つ。文化に合わせた保存食があったりする。

 

それも今では難しい。くさやも”糠さんま”もラフテーも全国各地で食べることができるし、アボカドもドリアもインドカレーも世界中で食べることができる。流通が発達したいま、時期も気候も土地も関係ない。「〇〇した方が良い」とはいっても、食べられるものなら食べたい、という欲も出るし。

 

そんな現代で手作りする意味とは?

 

一般的には、一番はやっぱり「安いから」だろう。

そうはいっても、値段関係なく「手作りがおいしい」っていうのがある。自分でカスタマイズできるし。

あとは「趣味」ってとこか。

 

でもここで言いたいのは、2番目の「手作りがおいしい」というところ。手作りの良さは、材料が選べるとか調味料の配分が自分好みにできるっていうことだけじゃない。やっぱり誰が誰のために作るか、というのが大事。

 

子どもの成長のため、仕事で疲れた夫のため、自分のため。

 

食材に向き合って食べる人のことを想像しながら作るのと、工場で流れ作業でできたものが一緒の味なわけない。たとえ、材料も調理工程もすべて一緒だとしても、絶対変わってくるはず。

 

逆にいえば、いやいや作っていやいや食べるくらいなら、市販品を気持ちよく食べる方がいい。

 

そして「おいしい」とは、「その人に合ってる食べ物である」ということ。子どもの偏食がすごい場合も、「栄養が偏るからダメ!」とかいわないで、好きなだけ食べさせていたら、ある日突然、「飽きた」とやめた、なんて話もあって、身体が欲しているなら構わないのかなと思う。ただ、身体の欲求であればOKでも頭の欲求の場合は間違う可能性があるため、大人になるにつれて欲求のまま摂取すればよいということはなくなるだろう。

 

食べ物は情報である。

ということで、家の周りに育つ野草は、その住人に合ったものが育つらしいので体に良いだとか、某スピリチュアル本では野菜の栽培方法として「種をまく前に、口に含んで情報を移す。それによって食べる人にとって必要な栄養素がつくられる」なんてのもあった。唾液にはその人の情報が含まれており、種がそれを理解するってことだろう。ほんまかいなと思いつつ、土にまかれたら土の情報を得て、そこに合った育ち方をするのだと考えれば、ありうると思う。

 

これと関係あるのか、うちでハボタンの様子が興味深かった。

 

正月に買ったハボタン3本を花瓶にさしていたら根が出てぐんぐん伸びたのだが、1本花を咲かせて散り、種ができるとあとの2本も急激に元気がなくなった。ちなみに紫2本、白1本で、種をつけたのは紫。こころなしか生き残り2本を比べると、紫の方が元気がない。これはつまり、子孫を残せたことを知ったから、「もう頑張らなくていいわ」となったのではないか。なんかよくわからないけどおもしろい。

 

「精神的豊かさ」というのは、ある意味で物質では見えてこない情報の多様さであり、別の種類の情報ともいえる。

 

 

 

今回のきっかけをいただいたツイート主、どういうスタンスでやってるんだろうと思っていろいろ見てみたら、手取り15万円”だった”夫と暮らす専業主婦を”目指してる”人とのこと。知恵を駆使して少ない出費でも豊かな生活してるっていうやつ。わたしもそんな感じだし、どっちかっていうと好き。

 

でもよ、料理上手でマンガうまくて、動画編集お手の物で、3Dソフトを使いこなす。DIYもするし、なんかいろいろ自作しちゃう。って、スペック高っ。投稿主は広告収入で稼いでるだろうし、夫の手取り15万円だった時期があったとしても、過去の話だろう。専業主婦ではなく「目指してる」ってところもポイント。起業してるだろうし、専業主婦は目指したまま、実現するのは十分稼いだリタイア後ってか。

ウソは書いてなくても、本当のことも書かない(しかも一番大事なところ)っていうのは、プロがよくやるテクニック。もしかすると、この人も実在しなくてなんかの業者かもね。

といじわるなことを考えたのでした。