おやつく後記

日常のことなど思いつき

繊細さん・HSPに思うこと

 

 

繊細さん・HSP(以下、「繊細さん」で統一)について、自分なりの考えを書いてみる。巷では繊細さんは生きづらいっていうのが定説だけれど、そうでもないと思ってる。

 

 

 

繊細だけど当てはまらない

 

noteの方で「繊細さん・HSP」について思うことを書いたら、いまだにちょこちょこ読まれている。

 

 

 

 

 

 

この記事は当時、自分なりに真剣に向き合って書いたけれど、いまはまた違う視点でこの現象を眺めている。

 

 

わたしは診断を受けたワケじゃないけれど、昔から今も「繊細ですね」と人からよく言われるので、そうなんだなと認識している。子どものころは自分と同じくらいみんなも繊細だと思っていたので、知らないうちは苦労したけど、「普通より繊細らしい」ということが分かれば十分だった。

 

 

 

 

普通の人が気にしてないことが気になるので、たとえば仕事で組んでいる同僚と意見が合わないこともある。でも大事なことだと思ったら譲らない。鈍感なヤツはおおざっぱな仕事をしようとするので、向こうの意見も聞きながら折り合いをつける。

 

ムカつくときは腹の中で「このバカ」と毒づくけど、向こうも同じだろう。ケンカする気はないので、口には出さないけどそのくらい許されてもいい。そうやって違う性質の人間が一緒にいるからこそ、1人ではできない仕事ができるってことも分かっている。

 

 

上手くいかないとウジウジ悩むこともあるけど、疲れたらエイヤで思い切った決断をすることもあれば、悩むことで次に生かせることもある。

 

 

いつだってその場における自分と相手の問題だったり、その時の自分の状況次第。繊細さがプラスに働くときもあれば、マイナスに働くときもある。ただ、それが繊細さ故なのか、自分でも分からない。たまに、自分以外みんな気にすることが、わたしは何も感じないときもあったりするし。

 

 

普通に生きていて、自分の繊細さがどうだとか、いちいち考えない。

 

そんなだから、いろんなブログや記事で「繊細さんのための――」「繊細さんのわたしが――」というのを見ると、わたしと全然違うことが多くてピンとこない。

 

 

繊細な人ばかり生きづらいの?

 

 

試しに読んでみると、自称・繊細さんは、枕詞に「繊細さん」とつけているものの、その中身は千差万別。繊細さんと呼ばれるすべての人に当てはまるのかよくわかんないのだが、繊細さにスポットを当てて、その多くは「生きづらさ」と関連づけているので、「繊細=生きづらい」という世の中の印象づけに一役買っているのは確か。

 

 

わたしは性格が悪いので、こういうタイプの人が一定数いるとお金になるよね……とイジワルな気持ちが湧いてくる。

 

 

現実は「繊細さん=生きづらい」なんて一方的ではないと思う。

 

わたしの実体験として、鈍感な人を見ていて「大変そうだな……」と思うことも多い。鈍感な人はその生きづらさにスポットを当てていないだけだったり、「生きづらい」という概念すら浮かんでないだけなんじゃないだろうか。感情に向き合わない代わりに、行動でカバーしようとして疲弊している人を知っている。誰とも共有せずに頑張る彼らは、ある意味で繊細さんより生きづらそう。

 

 

繊細さんに優しい時代

 

 

また「繊細さん」と分類される人は日本人に多いと思う。これまで表明できなかっただけで、昔からそれなりにいたんじゃないか。ただ、繊細さに欠ける西洋文化をムリヤリ取り入れたおかげで、繊細とは真逆の鈍感な人間なほど優位な社会になってしまっただけ。繊細さんが増えたのではなく、繊細であることが許される社会になりつつある(戻りつつある?)ということ。

 

 

繊細なことに悩む人が増えたんじゃなく、それを堂々と公表できる社会になったので、繊細さんはむしろ生きやすくなってるのではないだろうか。

 

 

繊細さで悩むということは、それだけ余裕が出てきたことの現れといえる。

 

団塊の世代である父は一見ガサツで強い人間に見えたが、実はかなり繊細だった。肉体的にも精神的にもムチを打ちすぎた結果、ストレス過多で身体もボロボロだった。父世代は男が繊細さを出すことはダサイと見られがちだったし、もう少し下の世代で働く女性も男のようなタフさを求められて、歯を食いしばっていた印象。

 

 

いまはそんな空気も薄れている。

まだ社会は鈍感な方が有利な構造なので色々思うことはあるだろうが、広い目でみればどんな人も真面目にやっていれば、プラスマイナス両方の運が巡ってくるはず。周りの目を気にせず、自分らしさを貫いていればいい。

 

 

昔より生き方の選択肢は格段に増えてもいる。

繊細さんは、自分が繊細であることを知り、社会はまだこちら側に厳しい、というポイントを知ること。これより先の対処は、「繊細さんのための〇〇」じゃない。

 

 

”繊細さ”と”弱さ・未熟さ”はまったくの別物なので、繊細である自分の生き方を知ろうとするより、自分の未熟さを自覚する方が解決が早かったりする。

 

 

「繊細だから仕事がしづらい」とか「転職が多い」とかいうのを見かけたけど、それは必ずしも悪いことじゃない。だって、自分の本当にしたい仕事に気づくチャンスがあるわけだから。鈍感だと、天職に気づかないまま一生を終える可能性もある。

 

やりたくもない仕事をやっていたり、自分なりの仕事の仕方っていうのを追求しないから、しんどく感じるものだ。他人がどうとか、普通はどうとか、自分以外の何者かになろうとするから、おかしなことになってしまう。平均は平均でしかなく、自分という人間をないがしろにしちゃいけない。

 

 

そして、自分以外の人間になろうとするのは、繊細さんに限らない。それはただの”勘違いさん”。勘違いさんは親とか学校、社会の教育だったり、自分の思い込みで作られる。それをはぎ取って、自分が生きやすい人生を作ることが、自分に対する責任だ。

 

 

人類の半分は繊細さん

 

そもそも、平均より繊細な人を繊細さんというのであれば、人類の半分は繊細さんじゃないのか。「繊細さんのための――」「繊細さんのわたしが――」は言い換えると「女のための――」「女のわたしが――」というようなもので、分母が大きすぎる。

 

 

結局、自分にしっくりくる意見ていうのは、どんどん条件がプラスされていって、「繊細、女、〇歳、既婚、職業△△」など自分と似た環境を探すことになり、繊細さもただの要素のひとつになる。

 

 

平均に近い人は繊細さんとはいわず、極端に繊細な人のみを指すのかもしれない。でも証明しようがない。いくら自称していたりテストで該当していても、実はただトラウマが強いとか強迫観念が強い、自己愛が強い、という可能性もあるわけで。

 

 

最近になって市民権を得たから盛り上がっているけれど、分母が大きい上に、あいまいで言ったモン勝ちになってないか? とイヤーな感じもする。いま更に細分化されていって、ナントカ型とか出てきているらしい。今後、「〇〇系△△タイプ××型HSP」とかどんどん増えていきそう。

 

 

「心理テストやると友達同士で盛り上がって楽しいよね」くらいの軽さで考えるのなら楽しめると思うけれど、あまりのめり込まない方がいい。変なビジネスにも注意。

 

 

繊細さん最強説

 

深刻になったり、自分をカテゴライズして狭い檻に入れるんじゃなく、自分という色んな面を持ち合わせた唯一無二の人間にフォーカスして日々成長していこう。そしたら、繊細さは弱みではなく圧倒的な強みになる。

 

 

元が鈍感な人は気質以上に繊細にはなれない。でも、その逆は可能。繊細な人は鈍感にもなれる。つまり幅が広い。繊細であるということは、細かいところまで気づく能力者であり、鈍感な人からしたら魔法使いレベルにすごいことなんじゃないかと思う。

 

そして、繊細さを持っているのは人間の特権。喜怒哀楽があって感受性が豊かだなんて、人間を生きる醍醐味だろう。そんな最高の条件を得て生まれたことを、最大限に生かさなきゃ。

 

 

生きづらい場所で無理して頑張るのではなく、自分が最高に輝ける場所に自ら行くこと。いや、生きづらい場所でしんどいツライと嘆くことすら、生きる醍醐味かも。

マイナス側の意見が多いってことは、それと同じ量がプラスにもあるってこと。どうせなら楽しく生きようって決めた者が勝ち。