おやつく後記

日常のことなど思いつき

錆びた校門に思う

ある高校の校門を通りがかったとき、壁にかかったちいさな掲示板がふと気になった。枠の角の1つが歪んではずれかけ、白く曇ったカバーのアクリルも少し欠けている。A3くらいの小さいサイズで、「許可なく関係者以外の立ち入りを禁ず」というような文字の紙1枚が張られていた。長らく誰も触っていないのだろうということが見てとれた。

 

 

 

 

 



 

そのまま横の校門に目線を移すと、重そうな金属の門はサビだらけ。昔どんな色だったかまで覚えてないが、青味がかった白とか、そういうのだろう。それが今や赤茶一色で、塗装がハゲたところはサビが侵食してザラザラしている。

 

 

この高校は約30年前に建て替えられたと記憶している。新築を見た時は「お城みたい」と子ども心に感動したのだが、時がたてば目新しさもなくなり景色の1つになる。しかしそれにしても、けっこうな都会で偏差値も高い進学校が、この程度の修理や塗装もしないんだ? と思った。

 

 

公立なので時期や予算は県が決めているのだろうが、こんな状態でもその時期じゃないというのだろうか。先生たちは何も言わないのだろうか。

 

 

自分が校長だったら速攻で直したい。一番部外者の目につくような、学校の印象を決めるような場所をこんな風に放置したりしない。自分の家だったら? 自分が社長をやってる会社なら? 絶対すぐに手を打っているはず。

 

 

とはいえ、先生の立場になると分からなくもない。自分は教員として一時的にこの学校にいるだけで、校舎の管理は管轄外。授業などで先生としての責務を全うすることが自分の仕事なのだ。それ以外のことなんて構っていられない。

 

 

実際、会社員だった自分を振り返ると、建物まで気を配ったことはなかった。そもそもそんなことは自分の仕事じゃないというのが一番であったが、心配する必要もなかった。大手にいた時は建物の管理やら清掃は外部委託でメンテナンスが行き届いていたので、古い建物だとしても汚さを感じることはなかった。小さい会社に行ったときは、外部委託するほどの規模でもなかったので社員全員が掃除をしており、何かあると誰かが上司や社長に直訴する雰囲気があった。

 

 

大きい小さいにかかわらず、その場所に応じた管理方法ができていれば、それなりの美しさは保てる。

 

 

学校だって、もし私立高校なら違うんじゃないだろうか。校長や他の先生でも「門がサビているので塗装しなおしましょう」と少なくとも一人は言うだろう。「ここは自分たちがつくった学校だ」という意識があれば、サビを放置するなんてありえない。きれいな学び舎を保つということは、それだけ学生たちを大事にしている、という意思表示ともいえる。

 

公立だから私立のようにはいかないのは分かる。教員が激務であることは以前から問題になっているし、校長すら数年で入れ替わるようなシステムでは愛着もわきにくい。主役の生徒だって3年で入れ替わる。長年勤める事務員などがいたとしても契約社員では発言権もないだろう。

 

 

建物で長く過ごしている現場の人間に決定権がないのもおかしな話だが、公務員だからある程度やむなしとしても、だったら県の担当がそれを担っているはず。予算が少ない? 時期の設定がおかしい? 修繕時に校門がいつも後回しにされている? 公立高校はどこもこういうもの? 理由は分からないが、なにかズレてる。

 

 

普通の民間企業だったら、「外側をキレイにする余裕がないということは、建物の中もこんな感じなのだろう。内情も建物と同じように余裕がないだろうな」と思う。

 

 

 

わたしから見えるのは掲示板と校門だけだったが、学校全体で見るとやるべき箇所が多いので、どうせやるなら一気にやる方が効率もよく費用も抑えられる、という事情もあるかもしれない。少し角が割れた掲示板だろうが、サビサビの門だろうが、それでケガをしたり事故にならないなら、別に構わないのかもしれない。

 

 

それでも、自分が関係者なら少しでも行動したい。上司に聞いたり県の事情を調べるくらいはするだろう。動いてくれないなら、自分でペンキを買って塗りたいくらい。でもさすがにそれは許されないだろうし、まかり通ったら通ったで別の意味で問題ではある。

 

 

わたしは学校の先生は経験したことないけど、会社でこれと似たようなジレンマを抱えた場面はたくさんある。そこで「見て見ぬふりをしたくない」と思うのだが、キレイごとだけでは通せないこともよくあり、我慢するたびに自分が小さく死んでいくような気分だった。「自分を殺す」というのは本当にそのままの意味だと思う。それを挽回できるくらいの仕事ができればいいけれど、そうでないなら最終的には去ることになった。

 

 

ある会社で多くの社員の口癖が「それが、うちのやり方だから(諦め気味)」「仕方ない」ということを知ったとき、ここには長くいる場所ではないと悟り、予想通りその後1年以内にやめた時のことを思い出した。

 

 

わたしの予想は全くの検討違いかもしれない。

でも、たかが校門、されど校門。

錆びた校門を見て「これでいいのかな」と思った感覚は間違いじゃないと思う。