おやつく後記

日常のことなど思いつき

ついに有料版にした~直観とエゴの攻防戦~

前々から下品な広告がつくのがイヤで有料にすべきか迷っていたのだが、ついにやってしまった。

 

 

広告さえなければやってないのになーといいたいところだが、実は前から「有料にしなければ」という直観が何度も来ていた。もっと本格的に文章を書いていきたいと微かな思いがあったからかもしれない。

 

 

とはいえ、メインにしているお菓子ブログに力を入れるつもりもなく、こちらで細々と書いている日記ブログもテーマが定まっておらず迷走気味。本当は創作で書きたいのだがアイデアが沸かず全然書けないので、何のために有料にしたのか自分でもよくわかっていない。

 

 

直観とエゴのせめぎ合いが続くこと数か月。

 

 

「有料でどっか借りるにしても、はてぶじゃなくていいでしょ」とエゴが行動を止めていた。でも何回打ち消しても「はよ有料にしろ」と直感くんがうるさい(もはや直観でもなんでもない)。

 

 

するとエゴが「どうせならwordpressにしようよ。勉強しようぜ」と言い返すのだが、レイアウトをこだわりたいとかセキュリティを考えるとめんどくさくて行動に移せない。数年前に実際wordpressもやってたのだが、めんどくさくてほぼ未使用のまま終えた。これが一番もったいないっての。

 

 

最近は無料版はてぶで勝手についてくる広告も、「この程度なら我慢できるっしょ」という内容だったし、エゴ野郎が「無料のままでいけ」と言い聞かせてくるので従っていたら、最近、下品度が増した。なんでだ

 

 

もうこれは耐えられないわ、と思って勢いで有料にグレードアップ。っていうか勢いじゃなきゃできない。貧乏性なので2年契約。いや、自分の好きなことなら高くない金額なのだけど、無料のブログツールでお金をかけるのは初だったのでね。。悲しき貧乏性よ。

 

 

くっっそ、はてぶの戦略にまんまとハマってしまった。

 

 

というのは冗談で、やってしまったら後戻りできないので、これはこれでいいのよ。

 

 

行動に移したらエゴはもはや何も言ってこない。寝たかな?

 

 

 

 

 

酵母も麹も同じ。そして世界はフラクタル

最近、紅麹サプリのニュースが話題になったのをきっかけに、麹や酵母について考えた。そのついでに植物の話とか人間の話とかに飛んだ。

 

※今回のニュース自体はそれほど触れてません。

 

 

わたしは日常的に発酵食品に触れているのに、紅麹なんてものを聞いたことがなく、最初は「なにそれ」って感じだった。

 

—きっと、死亡事故があったということは、紅麹っていうネーミングがついているだけで、別のものなのだろう。みんながイメージしやすいネーミングと実際の成分がマッチしていない商品なんてザラにある。”なめたけの瓶詰はエノキダケ”みたいな―

 

 

でもニュースの詳細を見ると、紅麹はれっきとした麹らしい。紹興酒や豆腐ように使われてるんだって。じゃあ紅麹自体は身体に有害ではないはず。ついでに「黄麹」「黒麹」「白麹」とかいうのもあるらしい。もちろん、こちらも初耳。きっと、わたしが日頃使ってるのは白麹あたりか。

 

 

名前の違いは胞子の色の違いとのこと。

 

 

でも直観的に「そんなの関係ねえ」と思った。

 

 

色はただの結果。全部同じもの

 

 

麹とか酵母になる菌が、ある食材に入り込んだ結果、食材の性質を変える。それが外に出た時に「〇〇麹」と言われているだけ。もっというと、その菌が結果として外に出た際、”麹”と呼ばれるとは限らない。酵母と呼ばれたり、もっと別の〇〇菌と呼ばれるかもしれない。

 

 

人間に例えると、わたしという一人の人間が、家族の中にいるときは「〇〇さん家の娘」になり、会社にいるときは「△△会社の社員」、友達の中にいるときは「××の仲間のひとり」みたいな、別の一面が強調されるだけで、すべてわたしという一人の人間が存在する場所が変わっているということ。

 

 

紅麹が紹興酒とか豆腐ように入っているという断片的な情報ひとつをとっても、とりあえずこの2つは中華の雰囲気がある(沖縄の食文化は疎いが、古くは日本より台湾寄りのイメージ)。

 

 

 <追記>

途中でほっぽり出してしまったが、紅麹問題については、紅麹そのものに問題はないはず。別の成分が原因か、純粋培養することで悪影響が出た? くらいに思う

 

 

 

だからたぶん紅麹から白麹を作ることもできるし、麹からパン酵母も作れるし逆も然り。実際に酒種でパンを作っているのはネットでよく見かける。

 

 

 

腐敗に傾いた菌は、別の食材にうつるとやはり腐敗し、発酵に傾いた菌で環境が整っている食材ならば発酵する。そういう単純な話だろう。結果として出た現象に、すべて違う名前をつけているだけ。菌の元が一緒だとしてもそれは確認しようがないし、素材が違えば必ず違う成分になるので、科学的に分類しようと思えば無限にできる。

 

 

このことを思いついたのは、過去記事にも書いたウイルスの話から。ウイルスイは「生物のようなもの」だが実際のところよく分かってないらしい。一方で、「一般的にウイルスと言われているものは、ウイルスが作用した後の結果にすぎない」という人を見かけたから。メディアでよく見るあの有名なウイルスのトゲトゲのビジュアルは、ウイルスそのものではなく「結果である」というのだ。真実は不明だが、そういう考え方はあり得る。

 

 

わたしはウイルスと菌の差はただのサイズだけだと思っているので、ウイルスの性質は菌にも通じる。

 

 

あと食品衛生の資格を取った際の講義で、食中毒を学んだことも参考になった。

 

色々端折って書くけど、自然毒以外の有害な菌やウイルスの発生は、ほぼ100%人災みたいなものだと感じた。大量生産に地球の裏側の食材が季節関係なく食べられるようになったりと、自然の営みからズレているからこそ起こってしまうのであって、身近な食材で消費できる最小限だけ食べていれば、そうそう起きない。そこで発生する菌やウイルスも元は同じもので、食材によって現れ方が違うだけに見えた。

 

 

これらを防ぐ方法を増やしていったところで、不自然なことをしている限り有害な菌やウイルス、寄生虫を根絶することはできないし、根絶できたところで別の問題が浮上してくるだろう。

 

 

ところで、良い成分が含まれているからといって一部を取り出して培養すると、毒になることもあるらしい。たしか藤田紘一郎氏の本で見た。身近なところでいう精製塩やうま味調味料が身体によろしくないというのと同じ理屈なのですぐ納得できた。

 

 

ということは、一般に販売されているもので一見身体に良さそうな成分が明記されているからといって、良いとは限らない。自然の中に存在してミネラルとか様々な成分が絶妙なバランスで配合されているからこそ効果を発揮するのであって、工場で生成されたものは自然を再現できない。

 

 

まずは自然に一番近いもの、次に自然の営みの中でできるものが一番身体に良い。科学的に身体に悪くてもそれを食べて幸せなら、幸せホルモンとか生成されるだろうから、それもアリ。ただ、「〇〇が入ってるから食べた方がいい」というのは、あまり意味がないってことね。

 

 

この流れで、いまハヤリの発酵食品も本当に身体に良いか? というのもちょっと考えたい。もちろん比較的良いとはいえるだろうが、「発酵」がつけば何でも良い訳でもない。

 

 

わたしは今、酵母を育てている。スターターとしてスーパーに売ってる「白神こだま酵母」を使い、あとは元種と粉と水で回し、もう1年以上たったので自分の家の酵母になった。ここまでくると我が家の菌が醸成されているだろう。ただし、塩こうじや味噌づくりの際は、毎回、市販の麹を買い、使い切ってはまた新しい麹を買って仕込む。これらも菌の力を借りてはいるが、うちの菌はあまり入っていない。(長く寝かせる味噌とかだったら変わるのかな?)

 

 

人間に例えると、毎年、新入社員を雇うけれど定着しない企業というかんじ。古株がいない。会社としては、若手と古株のバランスも大事。菌は回さないと腐るので、新しいものを必ず入れなければならない。安定している酵母や麹なら、一定期間ごとに新しいものを少し入れればよいが、長らく放置していたら古いのを少しだけ残してごっそり入れ替えるか、もう捨てるかの2択。人間界でも似たようなものかもしれない。

 

 

わたしの作る塩こうじは、小さい会社をつくって小さく回して終わらせ、次にまた小さい会社を作っているようなもの。ロスが大きく地元に定着しない。そう考えると、やらないよりはマシだけれど、本当に良いかは謎だなと思った。

 

 

でもうちには唯一の老舗、パン酵母がある。だったら、パン酵母から子会社を作ればいいのではないか。ということで、今回、初めてパン酵母から豆乳ヨーグルトというのを作ってみた。パン酵母は小麦なので豆乳との相性が良いとは思えなかったが、なんとかなるだろう。試してみた結果、予想通り最初のヨーグルトは粉臭くて変な味だったが、それを元種としてさらにもう1回作ったところ、余計な風味がとれてヨーグルトらしくなった。これを続けていけば、豆乳になじんだ菌となるだろう(ヨーグルト自体をあまり食べないので続けるかは分からない)。

 

 

この考えでいけば、すべての発酵食品のスターターはパン酵母でいける。蒸した米とパン酵母を混ぜたら麹ができるだろう。作りにくいだろうが、自分の家の菌から始めることで馴染みやすいというメリットもあるかもしれない。

 

 

この仮定をもとにいろいろ作りたいのだが、そんなに消費できないし場所もないので、出来る範囲でちょこちょこやっていくつもり。

 

 

この話から派生してもう一つ、植物の種について。

 

 

 

最近ツイッター(X)で見かけた話題。「在来種の種を研究・保存している方が高齢のため、引継ぎ先がなければ全部捨てるかもしれない」みたいなことを言って「それは良くない」という人が拡散していた。

 

 

在来種の種を保存するという活動は素晴らしく、在来種の存続に危機感を覚えていることも理解できた。わたしも在来種について何とかしなきゃいけないと思っていた時期もあったので。

 

 

ただ、菌のおかげで今はそこまで危機感はない。素晴らしい菌が存在しているから、それを使わなければいけないことはない。菌自体はどこにでもいる。それをどう使うかは環境次第でいくらでも変わる。

 

 

たとえばわたしが一時期ハマっていた白神こだま酵母は、秋田の美しい自然環境に生息していた菌だ。その風味を味わうというのは一つの贅沢だが、それを秋田とは程遠い場所で、毎回購入して使うのだとしたら、それは白神こだま酵母の熱烈なファンであって「天然酵母が良い」という考え方には一致しない。

 

 

そこにいる菌を無視して遠方の菌を優遇することは本当に良いことだろうか? もちろん、きっかけとしては良いが、発酵に親しんでいればいつかたどり着く疑問だと思う。

 

 

それと同じように、植物界でも「在来種」というある意味ブランドにこだわっても、使う側によっては、それが必ずしも良いとは言えないのではないか。その場所の土と気候、そして育てる人に合った育て方があり、守ってきた人の通りにやらなければ残せないというのは逆に不自然でもある。最低限の方法論以外は、人の数だけ違ってくるだろう。

 

 

逆に、外来種だろうが、そこで落とした種を使っているうちに、何年かしたらその土地にしかない遺伝をちゃんと受け継いでいるものではないだろうか。

 

 

高い意識を持っている人が行動するのであれば、最終的にゴールは同じところにたどり着く。その際に在来種を使った方がちょっと時間短縮できるかもね? くらいの違いかと。

 

 

わたしは「量産している安いイースト」と「白神こだま酵母」の両方をスターターとして自家製酵母を育てた経験があるが、どちらも開始直後の香りが違っただけで少し時間が経てば、どちらも同じ、うちの酵母へと変化していった。スターターの種類よりも、わたしの向き合い方の方が影響が顕著に出た(ほったらかしたり、精神的余裕がないと腐りやすかった)。

 

 

あと、関係あるか分からないけど、いつか読んだ本で「外来種セイタカアワダチソウが在来種の小さな雑草を侵食し、一面セイタカアワダチソウだらけになったが、いつしか別の草花が生えてきた」というのを読んだ。外来種が日本を覆いつくしちゃうんじゃないかと心配していたが、「なんだ大丈夫じゃん」と思った。地球をナメちゃいけない。

 

 

植物だって単体で生きているのではない。特定の1種類が猛威を振るったあとには力を失い、消えるか共存の道を選ぶ。植物界も栄枯盛衰。人間界も菌界も世界はフラクタル。だから大きな視点で見れば「なんとかなる」。現代という”点”でみれば厳しい状況も起こるかもしれず、それは自分たちの責任なので自分で考える必要はあるだろうけど。この考え方を採用するなら、移民問題もいつかどこかで落ち着くんだろう。

 

 

人も植物も菌もウイルスも、その対象自体を何とかしようとするより、当の本人の意識次第で何とでもなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、3月の手仕事。新しいこといろいろ

前回の記事から2か月。

 

 

本当はマメに書きたいのだけど、やりたいことの方が多すぎて困る。というわけで今回も手仕事総集編。全部書くと超長文になってしまったので、とりあえずダイジェストです。

 

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初挑戦の手仕事と今後やりたい手仕事

2024年1月1日から自分の中のフェーズが変わった気がする。といっても大きな出来事があったわけじゃない。今まで興味のあったことへの関心が薄れたり、バージョンアップしたり、違う方に広がったり、という微細な変化だ。

 

 

たとえばインスタ。手仕事の記録用に始めたが、最近はマンネリ化していた。どちらかというと、わたしは画像を残すことよりも、その時にやったこと・感じたことを文章に残したいタイプ。インスタは文章入力には若干不向きな仕様である上に、わたしのスマホはバグりやすかった。

 

時間をかけて作ったものが一瞬で飛ぶ、みたいなのが1度や2度ならず。「あーもう、めんどくさいから今日は止めっ!」というのが何日も続いて、今に至る。

 

 

しかし手仕事は続けているどころか、パワーアップしている。ということで、最近やったことと今後やりたいこと。

 

 

 

 

ここ最近、初挑戦したこと

 

服飾編

 

洋裁

 

過去記事をちょっと確認してみたところ12月にエプロンのことを書いていた。

t-syun.hatenablog.com

 

このエプロンを作った後に、叔母用と自分用をさらに合計3着つくった。デザインはすべて違うものにし、1つは古いエプロンから型を起こし、自分でデザイン修正した。さらに母の袖なしエプロンにファスナーで着脱できる袖をつくった。参考にしたのは袖の着脱ができるブルゾン。薄い生地でつくったエプロンにファスナーをつけるとゴツくなってしまい「戦闘服か宇宙服かよ」という違和感はあったが、そういうのも作ってみてはじめてわかるもの。わたしだったら絶対に着たくないが、母のだからいいのである☆(本人は見た目より温かさ重視なので気に入っているらしい)

 

※見直したら袖付けたしエプロンの話は前の記事に書いていた。

 

 

次に、自宅用のワイドパンツ。前にコピーメイドで複雑な形状のワイドパンツを作ったのだが、あれは初めてやるには難易度が高すぎた。ちゃんと本になっているレシピで作るとめちゃくちゃ簡単。ファスナーではなくゴムだったのもある。かわいい布で作ると愛着もマシマシで良い。

 

 

編み物

 

続いて毛糸のパンツを2着、あと1着は作っている途中。毛糸のパンツといえばババくさいイメージだったが、オシャレな本を発見。部屋着として履くとかわいいのでアリだなと思った。まず最初に、母用として試し編みしてみた。初めて作るものはすべて母用(笑)、ただし、うまくいったら自分用にする。

 

 

スタイリッシュな(?)毛糸のパンツの本

 

 

初回は毛糸を買うのがおっくうだったので、残り物を駆使したら毛糸が太すぎてモッコモコになってしまった。小さい子が履いたらかわいいだろうが、大人はどうだろう。上からスカートをはいたとしても膨らみそうなので、家用として上からダボダボのパンツをはくか、下にタイツを履いて1枚で過ごすくらいしか使えそうにない――と思ったのだが、母は上にデニムを履いて普通に外に出かけていた。強いなオイ。

 

 

あと、これまた自宅用に締め付けの緩いヘアターバンが欲しかったので編んでみた。ゆるゆるなのが気に入っているが、1か月も使うとズリ落ちそう。毛糸なので洗ったらまたいい感じになるかな。

 

 

料理編

 

まずはクロワッサンづくりバターロールづくり。こちらは過去に1回は作ったことはあるが、適当にやったのでヘタクソだった。それを今回は真剣にやってみた。天然酵母で作ろうとすると、寝かせるのにやたら時間がかかる。が、作業自体は難しいことはなく、書いている通りにすればうまくできる。クロワッサンはバターの溶けだし量が多いので改善の余地アリ。

 

 

つづいて酵母ビスケット。これまた過去に作ったことはあるが、真剣モードで再挑戦。したらびっくりするくらいおいしいのなんのっつって。食感や味のイメージはナビスコのリッツ。あれがもっと風味豊かになったバージョンが酵母ビスケットなのだ。酵母から引き出された旨味がすごい。チョコをかけてみたりもしたが、何もナシでも十分すぎるほどおいしい。お菓子屋さんをするならこれは定番商品にしたい。

 

 

初めてのたくあんづくり。畑をしている人から恐ろしくデカイ大根をもらってラスト4分の1ほど余っていたので、ネットで調べて作ってみた。昨年末に作った「柚子チェッロ」に漬け込んだ皮をみじん切りにして冷凍していたのと、叔母がくれた庭木のみかんジャムも隠し味に。本格派より少し手順を省略したレシピだが、自分で作ったことはないので出来上がりが楽しみ。

 

 

初めての焼き豚づくり。

栗原はるみの雑誌を読んでいたらあったので、興味をもった。今までに作ったことがあるようでなかったのだ。近所の肉屋でおいしい焼き豚を作っているので、「店で買うもの」と思い込んでいたフシもある。オーブンよりもグリルだろ! ということで魚焼きグリルで作ったらコゲた。でもおいしかった。今度は火加減気を付けます。

 

 

相変わらずカヌレは忘れたころに思い出しては作っている。こないだ、お菓子ブログの方に「”牛乳の沸騰不要”論」を書いたら、閲覧数が増えてビビっている。

適当な検証で勢いで書いてしまったので、間違ってるかもしれないんだけど。非公開に戻そうか迷ったけれど、自分がやったことと感じたことを書いただけなので、あとは読んだ人に判断を任せればいいか、と公開したままにしている。

先日、本屋に行った際に、少しだけ関係書籍を探してみたけれど核心をつく内容に出会っていない。また検証して違う結論が出たら、「すみません、違ってました」って謝ろうと思う。

 

 

その他

 

次にコーヒーかすの再利用。コーヒー愛飲者なので毎日コーヒーかすが出るのをちゃんと使ってみたくなった。まずは冷蔵庫内やトイレ、玄関などに置き、次に靴の消臭&乾燥のためのシューキーパー(? 名前が分からない)を作った。古布を縦長の袋状にして、そこに渇いたコーヒーかすを詰める。布はそのままだとコーヒーの油が染みるかな? と心配だったので不織布の接着芯をはってみた。効果があるのかは謎だけど、今のところ染み出てこないので、正解だったのかな?

 

 

今後試したいこと

 

化粧品編

 

まずは化粧品づくり

今すでに簡単なボタニカル化粧水は作っている。果実酒づくりで余ったホワイトリカーに庭のローズマリーとかミント、ヨモギ、いただきものの柑橘の種などを漬け込んだものを、水道水で割ってニガリを入れている。自然の植物の香りが気に入っている。

これをもう少しパワーアップさせて、ジェルとかマッサージクリームを作れないかなと画策している。シルク化粧品に興味があるので繭から抽出してみるのもやってみたい。

 

 

 

DIY

 

この年末は大掃除をかなり頑張った。この家が建ってから一度も触ったことないだろう、というところまで徹底的にやった。やりすぎて年内に終わらず、まだ続けなきゃと思っているのだが、寒いのでもう少し温かくなってから…。

 

ということをきっかけに、壁紙の張替か、漆喰塗りなどに挑戦したくなった。業者に頼んでもいいのだが、「そうなると1か月ほど家を空けて一気に全部やっちゃった方がいい」と言われてしまい、「絶対ヤダ!」と思った。そこまで拒むことでもないのだろうが、なんか嫌。とにかく嫌。適当な他人に触られるくらいなら自分でやりたい。

 

 

料理編ふたたび

 

先日、散歩していたら「瓦そばが食べたい」とふと思った。かなり謎ではあるが、どこかで読んだ雑誌にでも載ってたのかもしれない。あとはドラマ「逃げ恥」に登場したときの印象も強い(話の流れと全然関係ないので、違和感ありすぎて)。レシピを調べると、さほど好みの味でもなさそうだが、一度は食べてもいいんじゃないか。そう思って、カレンダーに「瓦そばが食べたい」とメモしておいた。1月に書いたら終わると同時に捨てられたので、2月にも同じ言葉を書いた。今年中には食べると思う。

 

 

番外編

 

食品衛生責任者の資格を取ろうかと考えている。お菓子屋さんをやりたいようでやりたくないのだが、資格は期限がないみたいだし、いつか何か役に立つかもしれない。ついでにお菓子を人にプレゼントするときに、自分のお菓子ブランドのロゴでも作ろうかと思っている。いわばゴッコ遊びみたいなもの。この先に何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。

 

 

 

 

 

家は主の胎内である

うちの場合は母親だ。

わたしは実家に戻って母と二人暮らしなのだが、自分の家という気がしない。いつまでたっても人の家を間借りしているようで、少し居心地が悪い。戻ってきてしばらくは気にしていなかったが、当時は仕事で忙しくてほとんど家にいなかったからだろう。最近、家にいる時間が増えたおかげで、違和感に気づいた。

 

 

もちろん、子どもの頃は何も思わなかった。大学生以降、長いこと家を出て1人ぐらしなどをして、久しぶりに戻ってきたらまったく別の場所になっていた。大人になって自己が確立されたからだろう。家を出てからのわたしは、いつも所有しているモノが少なく、久しぶりの実家はモノであふれていた。しかし、思い返せば小さい頃から実家はそうだった。

 

 

実家に帰った直後、少しでも自分の居場所を確保するために断捨離と掃除に励んだ。おそらく、家の半分くらいのモノを処分したのではないかと思う。すると母が痩せた(笑)知り合いに「ちゃんと食べてる?」と心配されていたようだが、わたしよりよほど食べるしよく寝るしよくしゃべる。つまり健康そのもの。絶対に断捨離の効果だ。

 

 

家が母親の胎内だと思った理由について細かく書いていたのだが、ただの悪口になったのでいったん消した。オブラートに包んで書き直そう。

 

 

 

実家のモノの量や配置、掃除の具合、すべてが母そのものなのだ。

 

 

量が多すぎる、あるべき場所にあるべき物がない、見える部分だけ掃除をしている”風”、とか。……やっぱり悪口になってしまった。

 

 

これでもかなり改善されたのだ。わたしが帰ってきてすぐは、意地悪な姑のごとく、ネチネチと指摘していたのだが、ウザがられるだけで良い効果がないのを知って、小言は止めた。代わりに、自分の部屋と水回りだけはピカピカにするようにしていたら、母も少しずつ真似をするようになり、数年前よりずいぶんきれい好きになった。

 

 

(誰かに文句を言いたくなったら、言うのではなくやってほしいことを自ら黙々と実践しよう。その方が平和だしずっと早い)

 

 

”自分の部屋と水回りだけ”と書いたが、もちろん、自分さえ良ければいい、というイケズなことをするつもりはなく、最初はすべての部屋を掃除したのだが、間もなく全く意味がないことを悟った。

 

 

わたしがモノを減らせば、空いたスペースに母がモノを詰めてしまうのだ。空間を無駄に使っていたので棚を作ると、前よりモノが入るようになった分、余計に増えてしまう。

 

 

わたしがいくら掃除をしても、わたしより母が使う場所はたちまち汚れてしまう。なぜ自分が使ってもない場所を一生懸命掃除して、しかもすぐに元通りにされなきゃいけないのだ、と思うとバカらしくなってしまった。

 

 

結局、そこを使う人間がきれいにしない限り、何の効果もない。正確にいうと、本人が手を動かさなくても、大前提として”気持ち”があればいい。たとえば業者に頼んで掃除してもらうならそれもあり。依頼する本人が掃除をしようと考えたからお金を払って人にやってもらうわけで、掃除の意味としては自分でやるのと同等の価値がある。

 

 

水回が不潔なのだけは許せないので、誰が使おうともわたしが掃除をすることにしたが、それ以外は諦めた。だからわたしの部屋と水回り以外は母の管轄ということだ。

 

 

話を元に戻す。家は母の胎内であり、つまり母の性格そのものだった。

 

モノが多い → 雑念が多すぎる

あるべき場所にあるべき物がない → 思考回路がぐちゃぐちゃ

見える場所だけ掃除をしている”風” → 表面的には愛想がいいが……(以下略)

 

ほかにもあるが、この辺でやめておこう。

 

 

そんなカオスな母の胎内の片隅で、ひっそりと小さく生きている(すみっコぐらしを初めてみたとき、思わず「わたしみたい」とつぶやいて、友達に引かれた。本当にそう思ったのだ)。そんな唯一の自室さえ完璧にできない。とっくの昔に家を出た家族のモノが押し入れの9割を占めているからだ。いくら家族とはいえ、住人であるわたしの部屋に他人のモノが入っているのは本当に腹立たしいのだが、あくまで母の家なので、強く言えないのがもどかしい(言ってもいいのかもしれないが、そういう気分になれない)。

 

 

でも、ある意味ではこの居心地の悪さは正しい。家の主は1人で十分だからだ。

 

 

たとえば夫婦や家族だと、2人以上で家を共有することになるが、そこでの主は妻や母であることが多い。夫が大黒柱だとか、亭主関白だとしても、家を守るのは主婦だ(逆でもいい)。あるいは、妻がいても家の管理も夫がしているのなら、家は夫の胎内かもしれない。とにかく、家という建物を支配している人の胎内になっているはず。もし、主の方針で各自の部屋は自分の好きに使うべき、というなら、主の思う通りになっているといえる。

 

 

うちのように母娘で住んでいても、娘が母に全権を委任しているのであれば、気持ち悪さはないかもしれない。しかしそれは、母の庇護の中でいることに違和感がないということでもあり、子どものままなのだ。

 

 

逆に娘が家の主に成り代わってもいいのだと思う。親も歳をとるとそっちの方が楽かもしれない。ただ、うちの場合はわたしがそれをやりたくない。母は、義務感が薄れると動かなくなるタイプ。放っておいても父が亡くなってから手持無沙汰に見える。父ほどではなくとも、まだわたしという存在がいるから動いているが、わたしが主の座を奪うととたちまち老いる気がする。

 

わたしが家を出た方がいいのかなと考えたこともあるのだが、悩んだ結果、まだしばらく動かないことに決めた。おかげでこういう違和感と常に戦っている。

 

 

ちなみに、良好な関係を築いた家族であれば、家はさほどキレイでなくとも居心地が良いだろう。毎日、胎内から出て胎内に帰ってくる――というとなんかエロい響きを含んでいるが、家の場合はそういう意味でもなく、とにかく安心感があるはず。

 

 

もし夫にとって居心地の悪い胎内なら、別の安心できる場所を求めるだろう。基本が安心できる場所であれば、一時的に気の迷いがあっても帰ってくるだろう。子どもは、大人になれば居心地が悪くなるのは当然であり健全なこと。

 

 

誰かのブログで「社会人の男で実家暮らしはダメ」というのを見たことがあるのだが、日々、母の場所に戻ってくる限り、子どものままで自立できないということだ。生まれる前は実際に母の胎内で育ち、時が満ちると物理的に母の胎内から出てくる。次は疑似的な母の胎内である”家”で守られながら育つ。そして大人になったら、自分の意思で出て行かなければいけない。パートナーができたら2人で一緒に新しい家を育て、そうでなくとも、自分の家か店か、とにかくどこかで帰る場所というのを見つけるのだろう。

 

 

わたしが読んだ文章では男についてだけ書かれていたが、女も出て行くに越したことはないだろう。親と同居するにしても、子が主になった方がいい。

 

 

今の社会では家を出て別の家族を築くのならいいが、ただ孤立するだけのケースも多い。わたしが今出ていくとそっちになるので、無理はしないでおこうと思っている。でも主でもなく、子のままでも嫌なのだから、さてどうしたものかな。

 

 

こういう家に住みたい